アイノワノート  

原始機での織物&うかんだことをカタチに

母の命日


6月18日は14回目の母の命日。

母を失って思うことがあります。

命は有限ってこと。

当たり前だけど、若い頃は実感がありませんでした。

 

母の病がわかったのは59歳で、その10か月後の60歳で他界しました。

私が38歳のときでした。

心臓を握りつぶされたような悲しみ。

こんな悲しいことを生きてると経験しないといけないのか、と。

寂しくて、とりとめもない宙ぶらりんな不安みたいな感情に包まれていました。

 

それは自分自身と向き合うきっかけにもなりました。

2年前、私は旧姓に戻ることに決めました。

私の命が、もしも母と同じだとしたら、あと10年。

たった一回きり、しかも時間が経つのはあっという間。

好きなことをして幸せで豊かに自立して自由に生きていこうと決めました。

 

そんなわがままなことが許されないと自分自身に禁止しているところがあり、

一番は子ども達のこと、次に世間体やお金のことに縛られていました。

 

実際は違いました。

腹を括ってみると、自分だけでなく家族みんなが幸せになりました。

 

母を失って、気づいたこともたくさんありました。

悲しみの裏側の事象も受け取り、私の本当の望みがわかりました。

それに気づくまでは、とても辛かったです。

 

ありがたいことに、たくさんの人たちに支えられて

子ども達を見守ってもらいました。

 

私も織りの先生や写真の先生など、母が生きていたら

同じくらいの年齢の素晴らしい方々とご縁をいただいたり、

友人にも恵まれました。

元夫も仕事以外のお仲間ができたようで楽しそうです。

 

毎年、命日に花を送ってくれる母の妹である叔母と数年ぶりに

SMSでメッセージする機会がありました。

叔母の住む町に出展するとき、教えてね。遊びに行くから、と。

ずっとご無沙汰していたので、また身近に感じることができて嬉しいです。

 

私はずっと温めてきた織りで自分を表現することを本格的に始めて半年経ちました。

手に取ってくれた方が、ウキっとした気持ちになってもらえたら、とても幸せ。

 

創ったものを引っさげて、日本中の人に会いに行きたい、と思っています(笑)。

そして同じような志しや、ご縁のある方々と繋がって ( 断言!)

幸せや楽しさや、愛を循環させていく、と真剣に思っています。

 

そして母の分まで、元気で楽しく生きていきます。

 

すべてが奇跡☆ありがとうと伝えたいです。