アイノワノート  

原始機での織物&うかんだことをカタチに

30年前の真実を知って驚いて涙したこと

 

先日、約8年ぶりに叔母といとこ家族と再会できました。

叔母は亡き母の妹で、私にとって母の一番の理解者だと思っています。

私がここ数年で決意して手放したことをようやく話せました。

 

はっきりブログで書いたことなかった(書いたっけ?)ですが、

2年ほど前に円満離婚しました。

結婚して19年経ってました。

 

大きな理由は価値観が全く違うこと。

(子ども達は私たちのこと「真逆」と言います、今だから笑えるけど・・・)

私は結婚してすぐ鬱になり、数年前は円形脱毛症になったり、

元夫はパニック障害になりました。(今はお互い完治しています。)

特に思い当たる理由は・・・わかりませんが、お互いしんどかったのかなぁ。

ただはっきりわかることは、二人とも表現が下手だったということ。

相手に伝える、伝わる言葉がわからなかった。。。

今は夫婦であるしがらみがなくなり、言葉で伝えられるようになりました。

(このことから「伝える」ことも大切な使命なのだと気づきました)

 

母が60歳の若さで亡くなったこともあり

自分が何のために生まれてきたのか、を思うようになって

ある日突然、織物をしたい!という、感情が湧いてきて

活動をしていく中で、優しい光で照らせるように自分を活かしたい、

と思うようになりました。

 

今回はそこまで詳しく叔母に話せてないですが、いろいろ話す中で

母が生前、話していたことを教えてくれました。

 

母が40代前半のころ「家を出て窯元に弟子入りしたい」と話したことがあるそうです。

叔母は冗談半分で聴き流そうとしたそうですが、

今思えば、話し方から本気だったかもしれない・・・と。

 

母が40代前半の頃って、私は20歳になったころ。

話しを聞いて、胸の奥の方からじわじわと温かいものがこみ上げてきました。

 

『これだったのかもしれない』

 

私が今やっていることは、母がやりたかったことかもしれない。

自分の思うまま自由に生きて、好きなものづくりをしたかったんだ、と。

 

私はなぜだか、小さい頃から

「母は絶対一人では生きていけない人」、と思っていました。

それはつまり、私自身に思っていたこと。(鏡の法則です)

だから離婚って怖くて仕方なかったし、ものすごく悩み覚悟したことだったけど

本当の自分(魂)が望んでいたことだし、結婚という学びも終え、

結果、素晴らしい方向へ導いてくれると実感しました。

独身になっても孤独やひとりぼっち、ではなくて

たくさんのご縁に恵まれ、素敵な方々に支えられています。

本当にありがたいです。

 

そういうことをいろいろ思い出すと、本当とても不思議で。

やはり私は母を選んで生まれてきたんだな、と強く思います。

 

これを書きながら、私の魂は喜んでます。

悲しくないのに、涙が溢れてくるからね。

 

 

鳥がいます。どーこだ!