今日は思い出のことを・・・。
私が物心つく頃から、家には鳥がいた。
いた、というか母が飼っていた。
飼っていた時期はそれぞれ違うんだけど、
九官鳥、メジロ、ひよこ・・・
オウムの記憶はないけど、小さい時の写真に私の頭にオウムを乗せたのがあって、
その写真で飼っていたことを知ったり。
九官鳥は本当にお話し上手だった。
誰かが電話で話していても真似をするので、楽しくておかしかったのを覚えている。
悲しかったこともあった。
どこからか母がもらってきた、ひよこ4羽。
ちっちゃいひよこを、小さな庭に時々離して遊ばせたりしていた。
少しずつ大きくなっていたのに、日に日に一羽づついなくなった。
気をつけていたけど野良猫とか、当時この辺も蛇がいたから、
そのような外敵に持っていかれたようだった。
一羽も鶏になれなかった。
メジロは、故郷が宮崎だった母が、実家の祖父から譲ってもらって、
うちに連れて帰ったことがあった。
飼うには届けがいるというのは、大人になってから知った。
知ってる方もいるかもしれないけど、メジロのかごって、とても小さくて狭い。
二本の止まり木を、せわしなく行ったり来たりしていた。
ある日、母が突然、家にいたメジロを外へ放した。
メジロはかごからすぐに出て、庭の木にとまってから、元気に飛んでいった。
小学生くらいだった私は、「あ!」と、びっくりした気がする。
ちょっぴり寂しかったような、外で元気に生きていけるかな、とか
瞬間そんなことを思った。
庭木に遊びに来るメジロを見ていて、うちのメジロがかわいそうになったようだった。
庭の木に果物をさして、食べにくる野鳥を微笑ましく見ていた母。
あのメジロも時々来ていたように思う。
面白かったのが、ほそーい枝を選んで果物をさしていたこと。
理由を聞いたら、ヒヨドリが全部食べてしまって、小鳥が食べられないから
細い枝なら・・・と思って、と。
みんなで仲良くお食べ、って言いたくても鳥たちに伝わらないし。
母なりの苦肉の策。
私が育った場所、今住んでいるところは、当時よりは減ってるかもしれないけど、
断然、街中よりも野鳥が多い。
結婚してすぐ住んだところは、近くに高速道路や大きな幹線道路があって、
24時間、なんとなく車の騒音が聞こえる場所で、そのせいなのかわからないけど
自律神経失調症を患った。
幸い、長引かず完治したけど、その数年後、子どもが生まれたのをきっかけに
母の勧めもあり、育った今の場所に移り住んだ。
鳥のさえずりは季節を教えてくれるし、聞こえると心地がいい。大好き。
これが普通だと思っていたけど、環境って大切だと一度離れてわかった。
なぜ母が鳥が好きだったのか、その時は普通過ぎて気にも留めなかった。
今なら、理由を聞いてみたい。
叔母に聞いてみたけど、わからないそうだ。
私が選んで、父と母のもとに生まれてきた。
そんな母だから選んだんだろうな。
母も鳥のように自由に生きたかったんじゃないか、と思う。
私は自由に生きていく。
母の分も生きる。
いよいよやってくる風の時代。
鳥のように軽やかに風に乗りたいな。
「鳥」・・・生まれてきた目的を知る大切なキーワード。
そして、私の干支も「とり」。