アイノワノート  

原始機での織物&うかんだことをカタチに

あさんぽから「過去を癒すことができた」と実感した話

 

最近の夜さんぽコースを、朝行きました。

ふと、歩こう!と娘の弁当を作りながら思いついて・・・

 

通勤時間帯で車が行き交うのを横目に、

「贅沢や~!」と満たされて豊かな気持ち。

バイトは辞めて、フリーで収入も不安定で

わずかな貯金を切り崩しつつやってますが(それも妄想!どうせうまくいく!(^^))

それよりも満たされてる感覚がはるかに大きい・・・

そんなことを思いつつ感謝して歩いていました。

 

さんぽコースに大学の大きなスポーツ施設があって

大学生たちがテニスコート軟式テニスの朝練をしてました。

今は軟式テニスをしている場面に遭遇することはなくて

珍しいなぁ、と眺めておりました。

 

中学、高校と軟式テニス部だったわたし。

あの思いっきり打つ感じが好きで、高校は硬式しかなかったので

メンバーを集めて軟式テニス部を作った過去があります(^^♪

 

大学生たちの練習を見て、

私の中学の軟式テニス部時代のことで思い出したことがあります。

 

去年まで受けていたセッションがあるのですが、

ワークの一つに(辛い、悲しい、苦しいなどの経験をあぶりだして癒していく)

というのがありました。

そのときに出てきた事象の一つです。

 

当時3年は16人いて、中学3年の最後の地元の大会に8ペア中、7ペアが出場

その1枠に入ってしまい、メンバーから外され、試合に出ることができませんでした。

友人たちは出れるのに、わたしだけ出れなかった。

試合などで決めたわけではなく、顧問が決めたことでした。

悔しくて悔しくて、学校でも家でもずっと泣いていました。

 

私は前衛を担当していて、自分で言うのもなんですが、

下手な方ではなかったし、部活も休まずに行っていて

試合に出れる条件を満たしていました。

 

出れなかった理由は、ペアを組んでいた友人が

ピアノの発表会前で、そちらが忙しいと部活の練習に来なくなりました。

その子の出席率の悪さで外した、という顧問の判断でした。

連帯責任ってやつでしょうか・・・

同じ部活の仲間も一緒に、何度かその子に電話したけど無理だと言われ

しまいには居留守も使われ、最後まで部活に来ることはありませんでした。

顧問の先生にも訴えたけど聞き入れてもらえませんでした。

 

自分の力ではどうにもできないことがあるという無力感。

10代の限られたコミュニティでは十分すぎるほど絶望感。

 

14歳の私はこんな風に語源化はできなかったけど

やるせない気持ちでいっぱいだった。

だから大人になっても忘れることはありませんでした。

 

おまけに長い間「こんな事、大したことない」と蓋をしてきました。

本当はめっちゃめちゃ傷ついたのに・・・

 

セッションの中で「本当はどうしたかった?」と問われ

思い出したことがありました。

 

ペアを決めたとき、仲のいいもの同士で決めたところがあり(中ボウあるある笑)

私もなんとなく組んだんですが、本当は技術のある別の友人と組みたかった。

でもその友人は親しい子とすでに組んでいて言えなかった。

輪を乱すみたいだったし、わがままだと思っていました。

 

もっとさかのぼると、小学生の頃

「わがまま 自分勝手」と、友人からひどくシカトされた経験もあり

自分の気持ちを伝えることに、ひどく怯えていました。

 

このことで自分のことをわがままで自分勝手な子、と思い込んでいました

 

本当はちゃんと気持ちを伝えてもよかったんです。

もしかしたら受け入れてもらえて、ペアを組みたかった友人と組めて

ものすごい結果を出していたかもしれない。。。

 

本当の気持ち、自分の気持ちを正直に伝えることは

自分勝手やわがままなことではないことを知りました。

 

それに私自身、わがままでも、自分勝手でもないと気付けました。

少し違う解釈をすると、その時の空気をちゃんと読んでいた。

自分のことを許せた瞬間でもありました。

 

誰かを傷つけ、自分の意見を押し付け、我を通してしまうことは、

わがままかもしれないけど、みんなの意見を受け入れつつ、

自分の気持ちも話すことはわがままではないと思います。

 

 

宇宙の法則に「良い」「悪い」はなく

ただただ自分と対話し、魂のささやき、ひらめきに従えば

それが真実であり、周りにもそのエネルギーを循環させることができる

と、理解することができました。

 

セッションを受けず、まだこのことに気づけていなかったら、

きっと遭遇した軟式テニスの練習を見ても、ブロックが働いて

不愉快な気持ちになっていたかもしれません。

 

部活をやっていた頃の体の動きとか、ボールを追いかける楽しさが

ふと思い出されて、穏やな心地よい懐かしい気持ちの私がおりました。

 

 

自分の昔のエゴにすら感謝した あさんぽでした。